ただ或ること。

年末から

「失う」ことについて、いくつか経験し、

そしてその「失った」という現実と裏腹に

「もう失うことはない」のだ、

という感覚に包まれている。


そして人生は

「なんかすごいことを達成」するとか

「素晴らしいことをする」ことが目的ではなくて

「生き切る」ことだけなのかもと思ったり。


そう、結婚して子供をつくって仕事をして…

そんな普通の幸せと言われることさえも

その人の「生」とは関係ないのかもしれない。

ただ、その人がこの世界に飛び出し、生きて、死ぬ。

それだけのこと。


とても静かで、そして烈しい。


しなければいけないことなど一つもなく

それに縛られる必要もない。


盛岡に帰ってときに友達が話していた

一人住まいの叔父さんが、年末に一人で亡くなっていて

それを発見しマンションも含め持ち物を全て処分し

一人のひとの痕跡を全部消し去る経験をしたら

なんだかぽかーんとして

今まで持っていたこだわりがなくなってしまった、という体験。


わたしも、年末にある大事なひとを亡くし、

先日財布と携帯を落として、カード類も全て消えた。


「ぽかーん」。


うちの父はボケてきているけれど、

結婚することだけにはこだわりがあり、

延々となぜ結婚しない?、(母に対し)結婚させない?話をする。

(それも忘れるから5分ごとに)

毎日死ぬほど聞いている母はイライラとする。

そしてわたしもイライラするし、

さらに罪悪感や無価値観や焦燥感に襲われる。


でもなー

その、自分の歩いて来た(格闘してきた)道=作品をずらーっと見て

そして、あの「ぽかーん」の境地をもう一度振り返って感じてみたら

「幸せ」というのは「条件」ではなくて、

一瞬一瞬に向かい合って生きたってことだけだなーって。


それが他のひとと違っていても、

自分だけがわかっていたらいいのだ。


失敗したことも、成功したことも、楽しかったことも、苦しんだことも

それを生きた、だけ。


だから、死んだひとって悔いがない、と思う。

何かできなかった、という思いも含めて、生ききったんだと思う。


感じる、体験するために生まれてきたのだから。


で、この投稿を読んで、あーシンクロしてる、と思ったのでシェアしまする。


Kamata motoko Artwork

いのちをアートとして生きる。