この前のランチで
人参とスクワッシュとキアヌとアマランサスのポタージュ出したのだが
自分でカップ一杯飲んでみたら
細胞に染み入るほど旨く
生きるっていいなーと思った。
何かを食べて、生きていけるなーと思えたりするのは
なんでだろう。
自分が食べたいものが、どストライクに作れた時、
ただ、幸せである。
それは小学2年生くらいに作った、
「母親がいない土曜のお昼にどうしても卵焼きが食べたい欲望」に端を発する。
それは今も変わらず、
もちろん他の人に食べてもらって、
同じような幸せを感じてもらったらうれしいのだけれど
一番のコアは、
「自分で食べたいものを食べたい味で食べて幸せを感じたい」
だけなんである。
最近それにいろんな意味づけをして
「提供する」っていうことに自分の視点がいっちゃってて
そうするとものすごく疲れるみたい。
倒れて、クラニオやってもらって、自分がすごく疲れていることに気づいた。
昨日動けたから、今日も!と思ったけど、
身体からの答えは「疲れた」。
それに、身体のあちこちにすごく力が入っていることに
いろんな時に気づいて、緩めてみたりして
なんでこんなに疲れてるんだろう?
と思った時に
ああ、やっぱし、何かずれてる。
てなことで、自分の中心に還ることが今大事みたいです。
今日も1日寝てた。
で、
なりゆき屋さんで食べた「餅巾着」が♡で
冷凍庫にあった1枚の油揚げに餅を入れて
えのきを油炒めしてお湯と醤油で汁を作ったところに投入してやわらかくなるまで煮込む。途中ネギも投入。
少し濃いめの味にしてたべると幸せ♡
何しろ基本は、自分の幸せ。
そしてそれのおすそ分けなだけなんだなー。
自分の心を無視して
誰かのために一生懸命になったり、奉仕してみても
結果は最悪。
自分の心が動かない限り、やっちゃいけないんだな〜
そして心が動いたら、体も動かさなきゃいけないなー
って。(なぜかストッパーがかかる)
今までのやり方では
もう体がついていけないよ、って
そういうことなんだと思う。
心から動けば、体の負担は小さくなるんだもの。
羽が生えたみたいに。
餅巾着を食べた私の心は震えました。
油揚げと餅のまとわりつく柔らかさ、
油と美味しい醤油の混じった少しジャンクな味、
しんなりして味のしみたえのきとネギとのハーモニー。
至福〜♡
いつもそんな気持ちで生きるのだ。
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