KID AILACK ART HALL主催
第5回ACkid [現代美術家と身体表現者と映像とのコラボレーション] シリーズ
「環(めぐり)」
鎌田幹子(美術・音・映像)+徳田ガン(身体)
2010年4月12日(月)
開場18:30 開演:19:00
入場料:予約2,000円 当日2500円
会 場:キッド・アイラック・アート・ホール
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徳田ガンさんとは、今回初めてお会いしたのですが
経歴は長く、70年代から活動を続けている舞踏家の方です。
1992年のアートスフィアという藤野の芸術祭に出演したこともあることもあるとのこと
ご縁を感じました。
今回「協働」するにあたり、
ガンさんが「死の舞踏」というシリーズを続けているということをお聞きしました。
わたしは、それを聞いて、つい最近読んだ本のことを思い出しました。
「生命の中で起こり続ける小さな死が、命を繋げていく」
寸分の変わりもなく、ここにあるわたしの肉体は、
見た目は同じでも、細胞に関しては1つとして同じものではない
常にすごい勢いで入れ替わっている。
それを読んで、自分のからだをじっと観察すると、
今まで感じなかったような畏敬の念を自分の肉体に感じたのです。
静かに微動だにしないかにみえる肉体の中で
とても静かにでもダイナミックに生死のサイクルが起こっていることに
驚きと、なぜかかわからないけれど感動を覚えてしまいました。
でも、それは自然界の中で起こっていることと何ら変わりはないのです。
いま、住んでいる藤野という山村では、
夏になれば雑草が道をふさぐように伸び放題になり、
山は緑で覆われ、花が咲き続けわっさわっさと終わりの無いように、緑は伸び続けます。
そして秋、花が落ち実をつけ、葉が落ち、枝が枯れ、
冬になり、しんと静まりかえって、何もかもが終わったように見えます。
それも、春になると、やまはけぶり、花が咲き、芽が伸び、また生命は輝き出すのです。
「死」の続きに「生」があり、
そのどちらがかけても命が続いていかない循環の中に身を置いてみると
「死」というものがはっきりと「生」を彩っていることに気づかされました。
「死」と「生」が、小さなさざ波を私の中に創り出し、それが命をつないでいく。
生と死の絶え間ない交換のなかで、わたしたちは生きているという状態でいられるのです。
その小さな死が
からだのなかではじけるようにして
生を生み出しているのが
見えるようです。
そんなことを感じ、考え、今回の展示には、「環(めぐり)」と言うタイトルをつけました。
いま、製作を続けているときに起こるたくさんの「めぐり」、
そして、当日、会場でおこる「めぐり」、
その全てが楽しみです。
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徳田ガンさんの言葉をいただきました。
「宇宙の記憶は天空の彼方ではなく、その皮膚下にあるのです。」
時折、寒い日もありますが、いよいよ桜満開です。
このたび、KID AILACK HALL/CTプロジェクト主催、第5回ACKid2010に参加します。
協働・美術+映像+音楽+身体パフォーマンスです。
私は、第一回に美術家の曽根光子さん、第三回に山本裕子さんと協働致しました。
今回、美術家である鎌田幹子さんと行います。照明は、坂本明浩さんです。
鎌田さんは、映像や写真を空間に取り込んだインスタレーションなどを行っており、ダンサーとの
コラボもあり、今のところ順調です。
彼女は今回の作品タイトルを「環(めぐり)」としました。
これは、私が「死の舞踏」シリーズを継続中であることを考慮したものであります。
『「死」と「生」が、小さな さざ波を私の中に創り出し、それが命をつないでゆく。
生と死の絶えまない交換のなかで、わたしたちは生きているという状態でいられるのです。』と、記しています。
私たちの大便の中身は、消化物や消化しきれなかったもののカスだけではなく、
腸内細菌の死骸、消化器細胞の剥落したもの、身体内の分解産物の混合体です。
それがウンコです。
だから、ウンコをすると、すっきりします。
身体は、指示行為や態度、形だけでなく、眼にも見えない音にも聞こえない無意識下のなかでも、
常に此処から彼方へhereから thereへ、生から死へと常に動いています。
宇宙の記憶は天空の彼方ではなく、その皮膚下にあるのです。
また、わけのわからない空間になりそうですが、寛恕していただきたくお知らせ致しました。
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