個展「LIFE」2021

KAMATA MOTOKO EXHIBITION 「LIFE」

2021/10/1ー31の金土日 AM10:00-PM5:00(最終日には舞踏家ACCOによるダンスパフォーマンスを開催。)

gallery isyokuju 山梨県上野原市上野原2004-2 


最初にこの企画は「妊婦舞踏写真を撮ってほしい」と頼まれたことから始まる。

撮影場所を探して辿り着いたのがisyokujyuと言うギャラリー。そこで、撮影した写真で写真展をやろうかと言う話になり、展示をやることになった。

妊婦写真故に、そこに近づけたコンセプトにしようかと考えたのだけど、一向に何も進まず(笑)よく考えたら自分には妊娠も出産の経験もなく感覚もないので全くリアルじゃなかった。 似たようなコンセプトではやれるかもしれないけど、全く自分には響かないんだなと。 

では、自分にとってリアルな感覚って何だろう?

 「LIFE」というタイトルは なんてないときにふわっと浮かんだ言葉。 ものすごくありふれているけれど しっくり来すぎて、他に候補を考えようがなかった。

 それは 「生活」という意味なのか 「命」という意味なのか なんだろう? あらためて、作っていくにあたり考えてみた。 

DMに使った写真は、長雨で割れたトマトの写真である。 今の自分のリアルはこれなのだ。 ただ淡々とすぎていくよな日々でも 毎朝トマトが赤くなっていくとか キュウリが育っていくとか その収穫物で何か作って食べてそして自分が生かされて なんかその循環の中に自分がいるっていうことに 何だかふと気付いたのかもしれない。 

こう自分の家の庭で野菜が育って食べるようになって なんか菜食というものの価値観が変わったような。 その前は頭で「菜食」って思ってたけど 今はこの目の前でできたものを食べたいっていうシンプルな感覚になってんのね。 おもろ。 

太陽と大地と雨と空気で、野菜はできる。 で、それらで自分の体は作られる! なんてことだろう。。。 知ってたけど、体感できてなかった!!!! と、いうのが、今の自分の中の衝撃です。

 いやほんと生きるのは面白いな。 ということの「LIFE」なんだろう、と 今日のところはそう思っておきます。 さて、何ができるのか。 お楽しみ(自分が)。 

コロナのあれやこれやもございますが、ふらりとおよりいただければ幸いです。 



「カガミ」と「あいだ」
さて、今回の展示の中の1つの作品をチラ見せ。 と言うのも、DMとまた違った感じになってきたからなのでした。

こういう万華鏡的世界にハマり出したのは、 このシリーズを作り始めてから。 https://www.instagram.com/mkwisp/?hl=ja

この展示を最初はシンプルな写真展にしようとしていたのだけど、その時に書いたメモに「カガミ」「反転」「対比」「根と枝」っていうことが書いてあって。

それを会場の中で完全に写真とコラージュに分けて表す的なことがイメージがあったりもしたんだけど、結局なんか具体的に考えるとなんか自分の中で盛り上がらなかったので、ボツったのでありました。

「孕む」(はらむ)という言葉もよく出ていて 展示名を「孕む」にしようかとかも考えたわけですけど (妊婦舞踏だったってのもあり、いろんな意味を含んで豊かになっていくというイメージ)なんか直接的すぎるな、とか思ったりもし。。。

結局最終的にコンセプトを手放して、 手を動かした先に「あーこれこれ!」っていう世界が見つかって、出来てきたいくつかの作品を並べてみたら「カガミ」的な世界になっていたのでした。

この「カガミ的なかたち」の中に沈んでいくと、 あちら側とこちら側につながった「あいだ」に、とてつもない可能性が埋もれている、それが湧き出してきているという感覚になるのです。

自分の中の「LIFE」は「日常」なのであるが、こういう「カガミ的世界」がいつも自分の日常に見え隠れしているのを感じている。決して特殊なことではない。

森の向こうから、畑の土の中から、雲の間から。。いつもそこに芳醇で濃厚な「あいだ」の世界が存在するのです。 そんな世界にとっぷりと浸ってみるのも面白いのではないでしょうか?